<大島> ホテル赤門
大島の歴史と伝統が息づく
美しい自然に包まれた温泉宿
ホテル赤門の物語の始まりは
1156年の保元の乱(ほうげんのらん)
平清盛が全盛を誇っていた1156年、天皇の後継を巡って起こった保元の乱で、弓の名手として名高い源為朝(みなもとのためとも)は清盛に敗れ、伊豆大島に流罪となりました。
為朝は、その身柄を預けられた島代官の「藤井三郎大夫忠重(ふじいさぶろうだいぶただしげ)」の娘を妻とし、次第に勢力を拡大。大島のみならず他の島々にまで勢力を伸ばすに至ります。その勢力拡大を問題視したのか、朝廷は為朝討伐の軍船を出し、大島に攻め込みます。為朝は、その軍勢を迎え撃ちますが、多勢に無勢、ついには自刃して果ててしまいます。
その為朝の武勇をたたえて建立されたのが「為朝神社」です。以来、800年以上にわたり代々の島代官である藤井家が中心となって神社を守り、島民たちも信仰を続けてきました。
ホテル赤門は島の代官所であり、為朝の住まいがあった場所に建設され、その敷地の中には「為朝神社」があります。まさに大島の歴史を見守り続け、為朝信仰を受け継いできた歴史と伝統に彩られたホテルです。
ホテル赤門の創業は(昭和29年)。「為朝神社」を守り続けてきた藤井家の自宅が火災によって焼失し、その跡地を有効活用するため、ホテルを開業することになりました。
その際、江戸時代の代官所の門である「赤門」をホテルの象徴としたうえで、敷地内の「為朝神社」はそのまま保存することで大島の歴史と伝統を大切にする姿勢を守り続けました。
ホテル赤門の入り口には江戸時代から残る「赤門」があります。江戸時代、朱塗りの門は格式が高く、特別な場所にしか許されなかったそうです。ところが幕府は為朝への敬意からか、代官所の門を朱塗りにすることを認め、大島代官所の権威づけを図ったのではないかと言われています。
ホテル赤門の玄関にあるフロントの奥には、1954年(昭和29年)の火災で焼失する前の写真が飾られています。また、フロントの横には古戦国時代の古い鎧が飾られています。
お土産コーナーの近くに「大島牛乳アイス」の張り紙を見つけました。フロントでファミリーがこのアイスクリームを美味しそうに食べているのを見て、湯種も食べてみることに。大島内にある大島牧場で作られたアイスクリームだそうで、甘すぎず、濃厚なミルクの風味が最高でした。
大島の歴史を現代に伝える
「為朝神社」
ホテル赤門の敷地内には、「為朝神社」があります。しめ縄をかけられた古くて大きな木の先に神社へと続く階段があります。階段を登り切ったところに開けた場所があり、そこにひっそりと佇む茅葺き屋根の社殿がありました。その質素な外観が大島の歴史を物語っているようです。
大島の大噴火の恩恵である敷地内の源泉
「御神火温泉 為朝之湯」
1986年(昭和61年)の三原山の噴火後、この地域で温泉が出ることがわかり、その後ホテル赤門でも温泉を掘って「御神火温泉 為朝之湯」という名前の源泉を登録します。
温泉の成分はナトリウム-塩化物泉で、メタケイ酸が豊富な美肌の湯です。高張性の濃い温泉が楽しめるため、井伊湯種(いいゆだね)は内風呂と露天風呂の往復を楽しみました。
大小2つの内湯は、宿泊客の人数によって、男性用と女性用を入れ替えているそうです。
※内風呂の利用時間は24時間ですが、9時30分~11時30分は清掃のため利用できません。
期待感が膨らむ
大島の自然に包まれた露天風呂
ホテル赤門には、開放感を満喫できる露天風呂があります。大島の自然を堪能しながら高張性の濃い温泉を楽しめます。
※露天風呂の利用時間は15時〜23時、朝は7時~9時。
和室には、温泉付きの部屋もあります!
洋室のコテージも人気です
ホテル赤門には、合計で15の客室があります。そのうち、温泉付きの部屋が2室、通常の和室が11室、コテージが2室あります。大島の島代官の娘であり、為朝と結婚した佐々良江(ささらえ)姫の名前から名づけられた客室「佐々良江」からは、天気が良ければ海の向こうに富士山が見えます。
人気の海鮮しゃぶしゃぶを中心に
海で水揚げされた新鮮な素材を使ったお料理です
海に近いホテルならではの料理が楽しめるのもホテル赤門の魅力。人気は、なんと言っても、近海で水揚げされた新鮮なお魚の「海鮮しゃぶしゃぶ」です。
素材の味を活かしたしゃぶしゃぶですから、人気になるのもうなずけます。
お料理は、夕食も朝食も食事会場で楽しむスタイルです。
大島の歴史と伝統を感じさせる
大島観光にオススメのお宿です
12世紀の「保元の乱」で大島に流された為朝の住居跡に建てられたホテル赤門。
南国の島の自然に加え、歴史のロマンを楽しむことができます。大島観光の一つの楽しみ方として、とても印象に残るお宿でした。
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