河鹿の湯
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井上靖『しろばんば』の舞台・湯ヶ島にある秘湯
地域住民に守られてきた歴史ある共同浴場
「源泉そのまま」の湯に浸かれるレトロな温泉施設
伊豆市湯ヶ島の狩野川沿いに位置する「河鹿の湯(かじかのゆ)」。
狩野川の流れが間近に迫るこの地にある、地域の人々が守り続けてきた共同浴場です。
「河原の湯」や「西平の湯」とも呼ばれ、源泉は狩野川の対岸に湧出しています。
観光向けの施設ではなく、西平地区の暮らしそのものに根差した湯。
井伊湯種(いいゆだね)はこのような共同浴場が大好きです。
たとえ小さな湯舟が一つきりでも、とびきり「いい湯」に浸かることができれば、それだけで幸せ。
「河鹿の湯」も、まさにそんな一軒です。
それでは、「河鹿の湯」をご紹介していきましょう。
「河鹿の湯」の歴史について、古い資料をもとに地域の方が話してくれました。
――『西平温泉は湯ヶ島区西平に在り、狩野川の水涯に湧出す。里人石をめぐらし泉を貯え病を治す。安政の頃より暗渠を以て対岸に導き浴槽を設ける。この水際数十歩の間地を穿ち随所に温泉湧出す』『水みなぎれば、たちまち崩壊す』――(村誌抜粋)
この村誌によると、西平の温泉は狩野川の水際に湧き、人々は石で囲って湯をため、湯治に利用していたということ。
安政の頃には地下に管を通して対岸へ湯を引き、浴槽を設けていたようです。
ただし川が増水するとすぐに壊れてしまう場所でもあり、当時から地域の人々が自然と向き合いながら守ってきた湯だったことがうかがえます。
明治初期には、御料林の大木をくり抜いた木管を川底に通して対岸へ引湯していたようです。
しかし大正後期に木管は流失。
その後は竹樋を川の上に渡して湯を引き、流されるたびに架け替えながら存続させてきました。
大正期には、上流での掘削によって源泉が一時止まる出来事もありましたが、地域の人々の結束によって復活。
昭和に入ると湯を守るための体制づくりが進み、時代の変化の中でかたちを整えながら受け継がれてきました。
現在の建物は昭和40年(1965年)に建て替えられたもので、その際に川に多く生息していたカジカガエルにちなんで現在の「河鹿の湯」と命名されました。
今も地域の人々の手によって大切に守られ、静かに湯気を立ちのぼらせています。
伊豆・湯ヶ島は、作家・井上靖の自伝的小説『しろばんば』の舞台として知られています。
井上靖は幼少期を母方の祖父母のもと、この湯ヶ島で過ごしており、その体験をもとに描かれたのが『しろばんば』です。
物語には、狩野川の流れや山あいの暮らしとともに、共同湯の情景も登場します。
――洪作たちは共同湯に着くと、われ先にと真っ裸になり、思い思いに浴槽に飛び込んで、湯の飛沫を上げて暴れた。――
井上靖『しろばんば』より
湯気の中で響く少年たちの歓声。
当時、湯ヶ島の共同湯は、単なる入浴の場ではなく、子どもたちの遊び場であり、大人たちの語らいの場でもありました。
この描写からも「河鹿の湯」の前身とされる「西平の湯」は、地域の人々の暮らしの延長線上にあったことが伝わってきますね。
「河鹿の湯」は、基本的には地元住民(組合員)のための共同湯ですが、13:00〜22:00の時間帯は「協力券」を購入することで一般の方も利用することができます。
地元の組合員が日常的に利用する場所でもあるため、訪れた際は共同浴場のマナーを大切にしましょう。
まずからだをきれいに洗ってから湯に浸かること、そして入室時は「こんにちは」「こんばんは」、出る時には「ありがとうございました」とあいさつを交わすこと。
そんな心遣いで、外からの訪問客も温かく迎え入れてもらえます。
地域の方々が大切に守り続けてきた湯。
周囲の利用者への配慮を忘れず、気持ちよく利用したいものです。
それでは井伊湯種(いいゆだね)も入浴してみたいと思います。
こちらで楽しめるのは、伊豆市湯ヶ島財産区が保有する源泉「西平泉 湯ヶ島29号」。
泉質は、カルシウム・ナトリウム―硫酸塩温泉(低張性・弱アルカリ性・高温泉)。
分析書にはpH8.0、源泉温度は45.4℃と記載されており、取材時の実測値はpH7.97、お湯の温度は43.1℃でした。
源泉は目の前を流れる狩野川の対岸に湧いており、湧出量は毎分791リットルと豊富です。
この湯は付近の旅館や民宿などにも分湯されていますが、「河鹿の湯」の浴槽にも十分すぎるほどの量が供給されています。
浴槽には、カジカガエルの親子をかたどった湯口から源泉が勢いよく注がれ、湯が縁から贅沢にあふれ出す様子を見ることができます。
その光景を眺めているだけでも、思わずうれしくなりますね。
浸かってみると、ツルツルとした浴感で、美肌の湯であることを実感できます。
温泉は空気に触れた瞬間から酸化・劣化が始まるといわれますが、ここでは常に新しい源泉がどんどん注ぎ込まれ、浴槽の湯はおよそ30分ですべて入れ替わるとのことで、鮮度は抜群!
浴槽まで引き湯する間に少し温度が下がるため、やや熱めながらも加水による温度調節の必要がなく、もちろん加温、循環ろ過や塩素消毒など一切行わない、「源泉そのまま」が贅沢にかけ流されている、まさに極上の温泉です。
浴室内もとても丁寧に清掃されており、気持ちよく湯浴みを楽しむことができました。
極上の湯に浸かり、上機嫌の井伊湯種(いいゆだね)
続いて、女湯をご紹介しましょう。
入浴の後、源泉の様子も見に行ってみました。
「河鹿の湯」の前を流れる狩野川の対岸を見ると、コンクリート製の扉のような入り口が見えます。
そこが、この湯を生み出している源泉の場所です。
このタンクの向かいには、以前ご紹介した「伊豆市湯ヶ島 犬猫温泉」の跡地があります。
現在は管理する人がいなくなったそうで、施設の跡だけが静かに残されていました。
地域に守られてきた、湯ヶ島の貴重な共同浴場「河鹿の湯」
井上靖の小説『しろばんば』の舞台として知られる湯ヶ島で、狩野川の流れに寄り添うように佇む「河鹿の湯」。
素朴な雰囲気の浴室と、たっぷりと湯が満たされていく光景は、豊富な湯量を誇るこの土地ならではの共同浴場の魅力です。
地域の人々が大切に守り続けてきた湯を、訪れる人もマナーを守りながらそっと分けてもらう。
そんな心地よい距離感も、「河鹿の湯」の魅力のひとつなのかもしれません。
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